【二村ヒトシさんインタビュー】入れたあとが大切。無意識に心地良いほうを選ぶことが「粋」
若いころからモテました?
監督は20代のころからモテ続けているイメージがあるのですが、実際いかがですか?
そこまでモテてないんですけど、まあ若い頃よりは多少マシになったかなと思うのは、ただ漠然とモテるかモテないかで悩むのではなく、自分はどういう相手にモテるのか、どこに行けばモテるのか分かってきたんじゃないかというコトですね。
愛されるかどうかという話だと、うち、母子家庭だったのですが、母親が医者だったもので、金銭的な苦労はなくて。
父親がいないというのがコンプレックスではあったけれど、家には家の事をやってくれるお手伝いさんとか、住み込みの看護師さんがいたりして、いびつな形ではあるけれど俺って愛されて育ったな、という自覚があるんです。
女性がたくさんいるなかで、男ひとりだったので、王子様として育っちゃったのかなと。
だから、マトモかどうかというと、全然マトモじゃありません。
AV監督というのは、女性に気を使うことが仕事です。
気を使うことで、うまく女性をコントロールするのか、女性にノビノビとセックスしてもらって、いい表情をしてもらって撮影するのか、それは監督のスタイルによって違いますが。
ただ、初めて本を書いた30歳の頃は「どうすればモテるか」分かってはいたんですけど、実践できてなかった。
だから『すべてはモテるためである』は、実は自分に言い聞かせるようにして書いた本だったんです。
AV監督とモノ書きとの仕事の関係って?
今はAV監督という肩書に、わりとこだわっているところもあるんですけれど、元々は学生時代から劇団を主宰して役者とかもやりながら、AV男優になったんですね。
甘えた話なんですけど、演劇の世界では「俺はAV男優もやってるぜ」、AV業界では「俺は演劇人だぜ」みたいな顔をしていた。まあ、イヤな奴だったんですけれど。
なにか一つに集中する、自分で自分の退路を断つみたいなことも大切なんでしょうが、僕にとっては「人から見たら、なんだかよくわからない人」であるほうが居心地が良かった。
どっちも自分だ、って思ってましたからね。それが自分の足場だった、ということです。
今でも、恋愛の本を書きながらAVをやって、つまり、同じことをしていますね。
そこの過程で苦労とかはありませんでしたか?
まあ、全体を把握しようとしてくれない人には「なんだあいつは」と思われますし。
本を読んでもらいたいな、と感じる人から、僕がAV監督だからというので本まで敬遠されたりすることも。
でも、そういうのは仕方がなくて、「苦労」とは違いますよね。
そういうのとは関係なく、いつも、どうでもいいことで常に悩んでいますよ。
演劇をやっていたころは、ほかの劇団の観客動員数とかめちゃめちゃ気になっていたし。
これは「どうでもいいこと」じゃなくて多くの人にとってのインパクト強い案件ですけれど、今だったら「AV業界、大丈夫なのか?」とか。
あと、これは100パーセント自分の責任ですが、書くと約束した次の本が、なかなか仕上がらなかったり。
外圧もあれば内憂もあり、難しいですよね。人生、いいコトだらけのはずがないですから。
それでも、まっすぐ進めた理由は?
まっすぐは来れてなかったんですけれど、つらかった事を、あまり実感として覚えてないんですよ(笑)。
記憶力が悪い。
ただ、その時その時、本当に人に助けられているんだと思います。
ご本人自身が人に優しいから、それが返ってきているのでは?
自分では冷たい人間だと思ってるんですけどね。
優しさってなんなんでしょう…?
AVを撮影してても、感情に興味があるんですよね。
ただの行為よりも、女優さんの感情を引っ張り出した方がエロチックですよね。
行き過ぎるとダメなんですけど…。
あまり深いところに入っていくとヤバい領域に入る。どんな仕事でもそうなんでしょうけど、サジ加減が難しいですよね。
ただ、まちがいなく「性」というのは、人間の弱点だし、感情の源ですよね。
AV監督というお仕事は、女優さんや男優さんへの気遣いが必要かと思うのですが…?
全ての人から好かれるコトは絶対できないので、繰り返しになりますけど、モテるためには、自分が誰にモテるのか、どんな人からモテたいのか、つまり自分の特性と、自分の欲望を知るコトが必要なんです。
仕事ですから、本当は、ある程度どんな女優さんにも対応できなきゃいけないんですけど。
僕ももういい年なので、最近「これ、別に俺がやらなくてもいいんじゃない」って逃げられるようになりました。
あと、男優さんについては、あんまり変に気を使ってないですね…。
生き残ってる人は、みんな人間力が強いので。
女性と男性の違いから見る「男の武器」とは?
監督にとって女性とは?
今でもよく分からない!
世間では「男と女では利害が違う」って言われてるらしいんです。
考えているコトも違うらしい(笑)
ラブラブであっても、面と向かっているときでも。
男女の恋愛の誤差とは?
ただ、僕は、それは男女の生物的な性差じゃなくて、社会的に決められた男女の役割(いわゆるジェンダー)だったり、恋愛においてどっちが依存してどっちが逃げたがってるかっていう、個人的な性質の差、それこそ「心の穴」の問題だと思う。
ゲイやレズビアンのカップルであっても、それが恋愛である以上、絶対に齟齬が生じます。
これが仕事だと、男性的な人と女性的な人のペアで作業すると上手くいったりすることもあるんですけどね。同性であっても、男女が逆転していても。共通の敵と戦うのは、うまくいくんです。
ところが恋愛だと、お互いを見つめなきゃならない。
さらに男女で、社会的にも結婚とかしなきゃならなくなると、つい、お互い羨ましくなったり、相手がズルく感じられたり、罪悪感を持ったりする。
子供を産んだときの負担とかも、なにもかもが違うので、それは擦り合わせられるわけがないんですよ。
擦り合わせようと思うコト自体がダメってことですか?
ダメっていうわけじゃないけど、完璧に割り切れるって、ありえないでしょ。
ただ「男は、こうでなきゃ」「女は、こうでなきゃ」みたいな生きやすさの規範は、間違いなくコンピューターの発達をはじめとする社会の変化によって、壊れてきています。むしろ、それを遵守しているほうが生きにくくなっている。
同性愛も増えてはいくだろうけれど、むしろ「男性的な男」と「男性的な女」とか、「女性的な男」と「女性的な女」のカップルが、恋愛には向いてるかもしれませんよ。
男性だったら自分が支配的にならないように、自分のなかで女性性を持とうとする。
女性であれば、自分がメンヘラ化しないように「自分」というものを主体的に持とうとする。
主体性とは、「私が私が」って主張することでは全然なくて、私が私であるから相手を大事にできる、そういうコトができる人間を目指すことなんだろうなと思っています。
男であること、女であることにこだわりすぎると、相手も自分も大切にできなくなる。
自分が「男である、女である」というのに縛られすぎない、ジェンダーは「仮面」というか「遊び(ゲーム)の役割」にすぎないと考えることが、これからの幸せの鍵です。
ひとりの人間として、どう女性に向き合えば?
生物学的には女性だという共通点があっても、実際、内面は一人ひとり違っていて、男性性の強い人もいれば、いい意味で女っぽかったり、スポーツ的なセックスが好きな人もいれば、母性愛が強すぎる人もいれば、愛されたがりすぎるメンヘラちゃんもいる。
全員と仲良くはできない、しかも人の心は修正できないし、人を幸せにするコトはできないんです。
あえて自分ができるコトがあるとするならば、相手にとって居心地のいい人間になるしかないですよね。
そして、自分にとって居心地がいい女性と出会えればな、って思います。
コミュニケーションはセックスそのもの?
脳内麻薬には大きく分けて2種類あって、「この人とやれたぞ」っていう高揚感ではドーパミンは出るけど、幸せホルモンであるオキシトシンは出てないらしいんですよ。だから、それも結局「自分はセックスに何を求めてるのか」ってコトです。
ドーパミンは「もっと、もっと」っていう刺激を次から次へ欲しくなっちゃうんですよね。
もちろん、それで破滅するのも自由だし、それも人生の味わいの一つです。
セックスをやるまでの「口説く」「口説かれる」とか、異性にモテるファッションとか雰囲気とか、それがコミュニケーション力だと言われがちですけれど、モテるテクニックを教えてくれるメルマガとかwebサイトでは、チンコを入れたあとの関係についてはあまり教えてくれないですよね。
まさにアフター・チンコです(笑)
アフター・チンコ(笑)。何を気にすればいいですか?
男って、入れることさえできたら、あとは射精するためのセックスになりがちで。
まあ、これは、イッたふりをして終わらせようとする女性も、よくないと思うんですけど。
男も女も、入れるまでが勝負じゃなくて、入れた後どうやって楽しむかを、みんな研究したほうがいいですよ。
これはセックスだけじゃなくて、あらゆる関係性に言えることだと思うんですが。
ビジネスも基本チンコ的ですよね? 例えば、スキルや資格だったり…
女性の営業マンが、取引先と仲良くなって仕事をとってくると、別に本当にヤッたわけでもないのに、男性の同僚からは「寝技」って陰口を言われたりすることがあるんでしょ?
でも、それって男性の嫉妬だと思うんだよね。
フロイト心理学では「女はチンコがないから、男をうらやましがってる」って言いますけど、現代の男性は、むしろ女性をうらやましがってますよ、無意識に。
女性がチンコ(この「チンコ」は比喩ですよ)以外の部分を仕事で使うと、男はすぐに「あれはマンコを(この「マンコ」も比喩のマンコですよ)使ったんだろう」と決めつけることが多いですけれど。
女性にはマンコ以外にも性感帯(これも比喩ですよ)がいっぱいある。
男は、自分の性感帯がチンコしかない(と思いこんでいる)もんだから、勘違いをするんです。
チンコしかないと思いこんでるのが、男の弱点ですよね。でも、男にも性感帯、あるんですけどね。いっぱい。
チンコとはなんでしょうか?
経済力とか、男の甲斐性とか、社会的な地位とか、変なプライドとか、みんなチンコのメタファーですよ。
いわゆるヤリチン男性の、沢山やれたほうが男らしいって価値観とか、いざ勃たなくなった時に命取りです。
いつかは必ず勃たなくなるし、会社だって定年になるんだから。
チンコ至上主義って、男性社会にはもともとあるんですけど、浅はかですよね。僕自身も、セックスする時や仕事する時、いさましい自分のチンコが大好きなんですけれど…。
自分の弱点によって突き動かされているんだっていうのが、みんな分かってない。
やりたいモチベーションみたいなものが「男らしさ」だと思っているんですけれど、じつは何らかの劣等感とか、父親への対抗意識といったコンプレックスに操られている。
たくさんの女とやらないと不安でしょうがないとか、自分が良いオトコだと思えないんですよね。
女性も、モテを気にしすぎる人、仕事や勉強を頑張ってないと不安な人は、同じです。
先ほど、性は人間の感情の源だと言いましたが、それが「自分の弱み」であるコトを理解しないといけないですよね。セックスが好きすぎる人は特にそうですが、セックスが嫌いだったり、セックスに苦手意識がある人も。
理解していれば、俺は今、感情やコンプレックスに支配されていて女性にしつこくしているな、感情に突き動かされて怒っちゃってるなとか、自省できる。
感情が豊かであるコトは、悪いコトじゃないんですけれどね。
感情に歯止めが効かず、自分の感情の奴隷になってしまうのはマズい。
「弱さ」で思い出しましたが、男性自身がアナルを掘られる快感を知ると、男として幅が広がるって二村さんはいいますよね。何故でしょうか?
そのほうが女性の気持ちが分かるからですよ。
セックスは多面的ですし、自分のカラダも相手にとっては対象であり、相手から興味を持たれているんだというコトが分かるからですよ。
女性って毎回こんなコトをされているのか、って分かるわけですよ。
指を入れられているときにですよ、実は相手が敵国のスパイだったら、そこで殺されちゃうじゃないですか(笑)。
いや、笑い事じゃなく、女性は常にそういう状況ですよ。
男性はフェラチオされてる最中に、とつぜん相手が気が狂って噛み千切られるとは、あんまり思ってないですよね。
まあ、そんなこといちいち思ってたら勃たないんですけれど。
女性だって「クンニで噛み千切られる」とは思ってないでしょうけれど、セックスが始まる前から常に男性から対象として見られていて、値踏みされていて、セックスをするときはカラダを開く。大変ですよね。
そうとう相手を見定めないと、弱点というのは、みせられないですよね。
男性も女性を見定めないとだめですよね。
男性でも「自分は女から値踏みされてて、それが嫌だ。自分は絶対に合格しないから」って感じてると、被害者意識を持ちがちです。
でも、被害者意識を持っている人、自分のことだけに意識が集中しちゃってる人って、男でも女でも、モテにくいですよ。
二村ヒトシさんにとって「粋」とは?
よく言われる話ですけれど、相手の立場になって、相手が嫌がるコトをしない、というのが「粋」なんですよね。
でも気を使っているコトが相手にばれたら、それは「粋」じゃないですよね。
それは恋愛の場面だけではなくて、仕事でも同じで。
あと、楽しみを知らないっていうのも粋じゃないですよね。
それって結局、自分が分かってないっていうか、自分自身だと思いこんでいるものの奴隷になっているっていうかね、振り回されちゃっているんだと思うんですよ。
それが多分、かっこよくないんですよね。
じゃあ粋ってどういうことかというと、自分をしっかり持ったうえで、自分がそうしたいから人に優しくできる、相手が嫌がる事をしない、というのが粋だと思うんです。
粋な人っていうのは、無意識のレベルで常に「楽しいほう」を選んでいて、それで自分の欲望が整っているから、自分の意思で選ばなきゃいけないときに、人がやらないような大変な事のほうを選べる余裕があるのではないでしょうか。
粋には「勘の良さ」も問われる?
運の良さイコール勘の良さ、イコール粋っぽさ、なのかもしれないです。でも、それって、なろうと思えば後天的にも、そうなれるらしいんですよ。
運のいい人って、素直ですよね。これはお説教というか道徳の話じゃなくて(まあ、ちょっと自己啓発っぽくなっちゃいますけど)、脳科学の話なんです。
運のいい人って、自分では意識せずに、自分にとってトクなほうを選んでいる。
しかもそれは無意識だから、単純に浅いレベルで利己的なのではなく、みんなのためになる。
それは脳への情報の入力が素直だからだそうなんです。
意識が外側に向かって開いていて、空気感とか、空気が読めない人だったら逆に相手の無意識とか、言語化できない無数の大量な情報をインプットしていて、その中から無意識に「自分にとって気持ちが良いもの」を選んでいる。
意識が開いてるっていうのは、つまり、インターネットばっかりやってたらダメです。
インターネットは、コミュニケーションのようでいて、実は、あそこには他者はいませんから。
日々もっと、すごく細かいところで、人間って全部「選んで」行動しているんですよ。
自分にとって心地よいほうを選ぶ。
無意識レベルで気持ちいいほうを選ぶっていうのは、セックスに似ています。
僕はやらないですけれど、多分、ハーモニーが重要視される音楽の演奏や歌にも似てるんじゃない?
自分の気持ちよさを追求しながら、それが相手を無視するような自分勝手になっちゃうと、嫌われて、自分も楽しめなくなる。
相手が何をされたら嫌か、どこに入れられたら痛いか、どこに入れたら喜ぶか。それってセンスじゃないですか。
粋か野暮か、ってそういうコトですよね。
最終的には、自分が気持ちよくなってることが相手の喜びになり、相手が気持ちよくなってることが自分の喜びになる、はずなんです。
そうなれない相手、そうできない場からは、勇気を持って早めに離れること。
お互いにとって気持ちいいほうを選べているかどうかっていう。それが選べていれば、運が良くなっていく。
それはセックスや恋愛だけじゃなく、全てなんでもそうです。
さいごに
川崎貴子さんと婚活サイトをはじめられましたよね?
これこそ、「なんでAV監督が?」って話なんですけどね。
働いている女性が対象で、登録している男性にコンタクトをとって、まずは女性側が選ぶシステムです。
男性は無料です。待つだけ。
まさに男性が「受け身」なんですね!?
無料なだけに、ヒモ志望な人が来てもらっちゃ困るんで(笑)、男性には面接をしています。
https://carricon.jp/
https://carricon.jp/about_carricon
アダルトビデオ監督。1964年六本木生まれ。慶應大学文学部中退。
Dogmaからリリースした『美しい痴女の接吻とセックス』『ふたなりレズビアン』『妹に犯されたい』『すべての女性があなたより背が高い世界』『マ○コがマ○コに恋をする理由(わけ)』等のシリーズで、画期的なエロ演出を数多く創案。その後、複数のAVレーベルを主宰するほか、ソフトオンデマンド、エスワン、ムーディーズ等からも監督作品を発売する。
著書『すべてはモテるためである』『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』(共にイースト・プレス)の2冊が、恋愛本の決定版として話題に。
共著に『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』(幻冬舎)、『モテと非モテの境界線』(講談社)、『オトコのカラダはキモチいい』(KADOKAWA)、『男ノ作法 人生と肉体を変革させる性交法則』(徳間書店)がある。
公式サイト:http://nimurahitoshi.net/
twitter:@nimurahitoshi / @love_sex_bot