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【本川達雄さんインタビュー】人間、1度は島流しに。先が見えて来たらぱっと違う道に曲がれることが“粋”

役に立たない道を選んだ20代

本川達雄さんの20代はどんな時代でしか?

僕は宮城県仙台第一高等学校を卒業して、東京大学に入学しました。でも、すぐに大学紛争で、2年間授業がなく、その間ずっと悩んでいましたね。

東京大学では動物学を専攻されていますね。
生理学者であるお父様の影響はあったのですか?

まったく、ありません。父は医学者でしたが、家に帰るとおふくろに医者の裏側の話で愚痴るわけです。そんな話を脇で聞いていたましたから、『人間のどろどろしたものが絡む世界には、進みたくない』と思いました。
僕は子どもながら美意識があったんです。小学校の国語の時間に先生が「正解はなんでしょう?」と質問するでしょ。
するとみんな「ハイハイ」と手を挙げるのですが、まっ先に手を挙げる子ほど、とんちんかんな答えをするんです。
そんなはしたない真似はしたくはなかった。正しい答えをしたいと一生懸命考えると、そもそも正しいとはどういうことかと、考えがそっちに行ってしまったんです。教室では先生が正しいとするものが正しい。でも、それが本当に正しいのだろうか。もっと偉い人がいて、その答えが正しいかもしれない。
それだったら、とるに足らない僕が何か言っても意味ないじゃないか
となり、ますます手が挙げられず、じーっと周りのことを見て考えている子供でしたね。

それは子供らしい子供ではないですね(笑)。

本当は「ハイハイ」と言って手を挙げて答えるのが子供らしいし、教師の立場になると、間違えてくれた方が授業を進めやすいのにと、今さら思います。

動物学をやろうと思われたのはいつの頃ですか。

高校2年。その時に進路を決めねばならなかった。僕らの世代は、戦後の何もない状態から、どんどん豊かになる間に育ちました。高校1年で東京オリンピック。
そこでね、ここまで豊かになったら、もうそれを最優先にすることもないんじゃないかと感じたんです。でもまわりは、工学をやってもっと物をつくろう、経済学部を出てもっと儲けようと、皆その方向を目指していました。皆がそっちに向くなら、僕は別の方を向く。役に立たない学問をやろう!と思ったんです。

それはすごいですね(笑)。

選択は、文学部か理学部になります。

生物が好きだったから理学部の生物学科を選ばれたのですか?

生物は嫌い(笑)。当時の僕の理解としては、心や頭の中のことばかりを考えて、それで全世界が分かるとする人たちが文学部に行くのだと思っていました。理学部はというと、素粒子物理学が当時の花形でしたから、頭のよい子は皆そっちに行きたがる。ということは、心や脳だけで全世界を理解しようとする人と、素粒子ですべてが分かったとする人だけ。でもそれじゃあ、あまりに見方が偏っている。だから、二つの真ん中あたりから世界を眺めて理解しよう、動物、それも脳味噌のない動物学あたりが真ん中ではないかと考えたんです。脳があると、動物といってもあまりに人間に近すぎて、真ん中ではなくなってしまう。結局、脳のない動物である貝やナマコを研究することになりました。今はバイオの時代で生物学は花形ですが、あの当時は生物学者というと、いかにも貧乏くさい世捨て人というイメージがあり、そこも狙い目でした。所得倍増で働けば働くほど稼げる時代で、皆その方向で突っ走っていたんです。でも、一人ぐらいお金儲けに関係のない人間がいてもいいんじゃないか(笑)

それはかっこいいですね(笑)

動物を研究する人は趣味でやっている人が多いんですよ。趣味人と見られたくありませんでした。動物を研究しているというと、現実社会から逃げているんじゃないか、たんなるオタクじゃないかと、どうしても思われる。
そう思われないためには、社会に出て戦える実力もある、ということを示しておかないと、どうも胸を張って生きていけないと感じました。
『実力あり』というお墨付きをもらうには東大に行けばいいと、まことに世俗的に考え、落ちたら地道に地元の工学部に進むつもりで受けてみたら、なんと合格しちゃった。

“粋”ですね(笑)。

そうかなあ。まわりは驚いていましたね。だって、高校3年の夏になっても、まだフルートの師匠に通っていましたし、学生服のポケットには詩集が入っていたしで、まわりからは文学部志望で現役合格はあきらめていると思われていたようです。
学生服と言えば、大学・大学院と、ずっと垢でピカピカ光学生服。食えない学問をやる人間は服装などかまわず、女性から目もくれられないようにしなければと思い込んでいましたので。学会発表も学生服でやり、大先生に「本川君にネクタイを買ってあげる会」を作らなくちゃといわれました(笑)。

破天荒だったんですね。

いやはや、非常識で勉学一途の、まことに大人しい学生時代でしたよ(笑)。

島流しの30代

東大を卒業後そのまま助手をされ、それから琉球大学に移られますね。

学部を卒業した翌年に沖縄返還。移ったのはそれから7年目で、琉球大学が整備されつつあった時期です。東大に「誰か若手を送ってくれ」と琉球大学から打診があったんです。でも、当時の琉球大学は研究できる環境が整っておらず、行ったら学問的に飢えて死ぬだけだと思われていた。ですから、誰も行きたがりません。大学紛争時代にあれだけ大声で『沖縄県民と連帯して闘おう!』と叫んでいた人たちも、誰一人行くと言わなかった。僕は腹を立てましてね、「行く!」と手を挙げたんです(笑)。

それで30代は沖縄で過ごされるわけですね。

13年いました。予想通り、まともに研究できる環境ではなかったし、また、これも予想通りですが、激しいイジメにあいました。
日本本土に昔からイジメられてきた沖縄の歴史がありますからね。だからイジメられるのも仕事のうちと心得、せっせと沖縄のために働きました。けなげでしたね

沖縄といえば、生物の、とくに、海洋生物の宝庫じゃないですか。

もちろん生物の豊富な場所だから行ったのです。私は生物が好きでもないのに生物学者になろうとたのですから、生物に取り囲まれて仕事をする経験をもたなければ、生物学者とは名乗れないと考えていました。それも現地に居着いてです。アフリカや南米にちょっと行って帰ってきて、論文書いて発表するのでは泥棒と同じで、その生物にも、その生物を育てた沖縄にも失礼だと思いました。

では、沖縄で骨を埋めようと。

全然、なかったです(笑)。僕の立場は最初から『お雇い外国人教師』です。
沖縄出身者が研究者として育つまでの中継ぎとして傭っていただきました。
百年前の日本じゃないかと思うようなことを経験でき、大変と言えば大変、面白いと言えば面白かったですね。

でも、研究者としては実りが多かったのではないですか?

そりゃあもう。最初の1年は毎日、海に潜っていました。熱帯魚たちに取り囲まれてじーっとしていると、生き物ってこんなものなのだという感覚が、体に染み込んでくるんです。そして、そういう感覚さえ体得できれば、これから先、生物について何を言っても、そう大きくは間違えないだろうという、自信がついてきました。これは大きかったですね。もちろん、生物学上の成果もずいぶん上がりました。なにせ日本の学者サークルからは離れていましたから、成果は出さないといけないと頑張りましたね。実験装置など何もない環境でしたから、全部手作りですよ。材料は米軍払い下げのジャンク屋で調達していました。

歌を作りはじめられたのも、沖縄時代ですよね。

沖縄は歌と踊りの島で、歌が生活の中で生きています。飲み屋のおばちゃんが、目の前で起こった出来事を、歌にして、手振りをつけて踊るんです。びっくりしましたね。
彼女にできるなら、僕にもできないわけはない、ということで、講義の内容を歌にして歌いました。大好評。
十数曲作ったところで、歌をはさみながらディスクジョッキー風に沖縄暮らしを報告するミュージック・テープを作り、百本以上コピーして学会でばらまきました。そうしたら、口の悪い人に、「島流しにあうと、歌を作り始める」と言われましたね。
水産学の偉い先生で人口に膾炙した歌を作られた方がおられますが、彼がそうだったことを踏まえた発言です。僕は「島流し」も悪くないと思っています。これまで持っていた物がすべてなくなってはじめて、何が大切だったかが分かります。また、まったく異なる世界に身を置くと、それまでの世界をクールに眺める視点がもてます。
困難な状況にあえて身を置く、その状況を楽しんでいるよとやせ我慢していて、それを見せることも大切だと思いますね。

やせ我慢も“粋”ですね。今の子たちを見て、どう思われますか?

今の子供、特に偏差値の高い子は、小学生の頃から親の敷いたレールを走って、余計なことは一切、やらない。
余計なことをしていたら、偏差値は上がりませんからね。レールを走るのは上手いけれど、レールがないところは走れないし、走る気もない子供に育っています。
だから未知の領域に踏み込まないし、リスクのあるものに挑戦しようとしません。余計なことをやって教養を身につけることもしません。
自分が手にした物、手にできると期待されている物を失わないかと、おどおどしており、何が起ころうともおたおたしないという根性がない。

思ってもいなかった40代に

本川さんの40代といえば、出版された『ゾウの時間ネズミの時間』の大ベストセラーですね。

沖縄から東京に戻ってくると、僕は仕事で目立った人間だったので、学会とか、いろんな仕事を押し付けられました。そんなときに出した『ゾウの時間ネズミの時間』が凄く売れたんです。雑誌の取材、テレビ、ラジオ、講演会と、ヒッチャカメッチャカ忙しくなりましたね。

そこまで売れると思われていました?

思いませんよ(笑)。『ゾウの時間ネズミの時間』というのは、サイズの生物学を日本に初めて紹介した純粋生物学の本です。生物学者の仲間内でも名著だと言われています。そんなものが一般の方々にも受け入れられたのは、サイズという視点から社会や人間を見ると、新しい見方ができる、つまり教養が身に付くからです。私は大学で、教養科目としての生物学の授業をたくさんもっていました。「教養」というのは、社会を理解するうえで役に立つ知識や物の見方を身に付けることです。教養を身に付けても、直接は何の役にも立ちません。生きて行く上のハウツーではないし、自分がその道の専門家になるための知識でもありませんから。それでも、教養を身に付けることは、良い人間になるために大切だし、知的なエンターテイメントでもあります。あの本がこれだけ受け入れられたんだから、日本のビジネスマンも捨てたもんじゃないなあと思います。

教養は大切ですよね。

そうなんですよ。
教養を身に付けることで、どんな状況でもオタオタしないという腹のくくり方も出来ます。これからの時代は、それが大切だと思います。

本川さんの40代とはどんな時代でしたか?

「思ってもみなかった時代」ですね。世の中に背を向けていたら、世の中注目を集めてしまった。おかげでものすごく忙しかったけど、論文はきちんと発表していました。有名になると論文を書かなくなる研究者もいます。けれど僕は毎年、英語の論文を1本は書くことを義務としていました。

それは“粋”ですね。いつの時代も信念は貫いている。

生物学者に軸を置いている以上、そこから外れたらいけないと思います。

そこから50代は?

僕が書くとどんな本でもそこそこ売れると思われるようになりました。それを使わない手はありません。そこで『ウニ学』『ヒトデ学』『ナマコガイドブック』という僕の専門分野の、出版社が二の足を踏むような本を書かせてもらいました。
こういう形での、専門分野への寄与が、大事でしょう。また、僕の書いた文章が、今、多くの小学校で使われている国語の教科書に載っています。そこでボランティアとして、小学校にせっせと出前授業に行っています。また、高校の生物の教科書の編集委員長もしています。一般の方々への教育も地道にやっています。

最後に本川さんにとっての“粋”とは?

芸者さんの“粋”はわかりませんよ。
でもね、昔はかっこよく生きた人たちがいて、そういう人たちにあやかりたい気はします。例えば夏目漱石の時代の人は漢詩を作りました。それを現代に置き換えれば、英語で詩を書く事になるでしょう。でも、そんなことをやっている人って、知らないなあ。僕は英語の歌も作っていますが。

現代は、マルチな才能が根付いていない?

江戸時代だと、絵も描いて文章も書いてと、山東京伝みたいな人は多かったんです。今は忙しすぎて、一つのこと以外をやっていたら、落ちこぼれてしまう。
マルチじゃだめなんです。でも多様性を大事にしておかないと、いざという時に困るというのが生物学の常識です。
生態系は多様なほど安定します。

種の中の遺伝子も、多様性があるほど種は絶滅しにくい。
これは社会についても自分自身についても言えることでしょう。

これだけ寿命が延びたら、職について仕事をしている時代と、定年後の生き方とは変えねばなりません。それぞれの時期を上手に生きるには、異なる才能があった方がいい。社会についても、日本経済はこのままではジリ貧になって破綻するでしょう。
その時に、それまで上手くいっていたやり方だけしかできなければ、お終りです。
老いの生き方にしても、経済破綻後の生き方にしても、過去の持っていたものにめんめんとしがみつこうなどとしたら不幸になるだけだから、ないという状況を楽しむという、痩せ我慢の姿勢、これは九鬼周造も粋の定義の中に入れていますが、これが大切だと思っています。

今現在の痩せ我慢は、『膝も腰もいたいなあ。それもこれも、人類がこれだけ長生きになったから。人類のすごさ、ありがたさを、この痛さによって日々実感しよう!』というものです。

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本川達雄(もとかわたつお)
1948年、宮城県の生まれ。生物学者、シンガーソングライター。
東京工業大学名誉教授。専攻は動物生理学。
生理学者の本川弘一(後に東北大学総長)の息子として生まれる。
宮城県仙台第一高等学校を経て、1971年、東京大学理学部生物学科(動物学)卒業。東京大学助手、琉球大学助教授、デューク大学客員助教授を経て、1991年より2014年まで東京工業大学教授を務めた。
研究対象は、棘皮動物のキャッチ結合組織や、ホヤを題材にしたサイズの生物学(アロメトリー)など。
『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書)はベストセラーになった。
『生物学的文明論』(新潮新書)
『生物多様性 「私」から考える進化・遺伝・生態系』(中公新書) 
『人間にとって寿命とはなにか』(角川新書)
『ウニはすごいバッタもすごい デザインの生物学』(中公新書)
など著書多数。

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本川達雄

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