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絵に全てを捧げた”画狂” 葛飾北斎の一代記~生き様の事典 第1回~

写真出典:すみだ北斎美術館

大きくうねる波の向こうに、小さく富士山が見える。『富嶽三十六景』より『神奈川沖浪裏』は、誰もが教科書などで見たことがある作品だろう。
作者の葛飾北斎(1760~1849)は、江戸時代後期の画家である。喜多川歌麿や歌川広重らと並び、最も有名な浮世絵師の一人だ。
彼の絵は日本の開国とともに遠く欧米にも伝わり、マネやゴッホなど西洋美術にも大きな影響を与えた。

彼の残した作品は、風景画・人物画・動物画・妖怪画・春画など多岐にわたり、その数は3万点以上に及ぶ。
同時に、その人格は強烈であり、彼の生涯は数々の奇行に彩られている。

葛飾北斎の残した逸話から、その人物像に迫ってみたい。

1.使用したペンネームは30種類以上

今でこそ「葛飾北斎」の名で知られているが、生前の彼は幾度となく画号(ペンネーム)を変えた。
使用した画号は主要なものだけで「春朗(しゅんろう)」「宗理(そうり)」「北斎」「戴斗(たいと)」「為一(いいつ)」「卍(まんじ)」の六つ。晩年の作品となる前述の『富嶽三十六景』には「北斎改(あらため)為一筆」と署名されている。
さらに、署名するときは場面に応じて多数の副号を使っていたようだ。
中には、「画狂人」「画狂老人」など、ふざけているとしか思えない号もある。

面白いのは、号を変えるごとに画風や活動の分野も変わっていることだ。
例えば、「宗理」を名乗っていたころは、「宗理風」と呼ばれる独自の美人画が人気を博した。
「北斎」と名乗ってからは、洋風の版画や小説の挿絵なども多く手掛けるようになった。

2.生涯に100回近く引越しをした

北斎の奇行の中でも有名なのが、生涯に93回と言われる転居癖だろう。
北斎は一日中、家事もせず絵ばかり書いていた。
掃除もせず、食事も店屋物で済ませる。すぐに部屋はごみだらけとなり、これ以上住めないと思うと引っ越した。

晩年の北斎は、娘のお栄(三女だったとされる)とともに暮らしていた。
お栄も父の画才を受け継いでおり、「葛飾応為」の筆名で作品を残している。しかし、彼女は父から偏屈な性格まで受け継いでしまったらしい。
絵師に嫁いだが、夫の絵を笑いものにしたため離縁され、北斎のもとに出戻ったという。

お栄は北斎とともに画業に打ち込み、父の制作を助けることもあった。
しかし、家事を切り盛りすることはなく、父とともに散らかった部屋でひたすら絵を書いていた。

このあたりの逸話を見ると、北斎はかなりの奇人に思える。
しかし裏を返せば、持っているエネルギー全てを絵に注いでいたからこそ、とも取れる。

3.老年に達しても、常に高みを目指し続けた。

写真出典:すみだ北斎美術館

北斎が絵の修行を始めたのは、18歳ころからと言われる。
勝川春章という絵師に弟子入りした。好奇心旺盛な彼は、師匠に隠れて他派の画家の技法を学ぶなどして、破門されてしまった。
食べるのにも事欠く生活になったが、それでも絵を書き続けたという。
今も昔も芸術一つで食べていくのは難しい。
浮世絵だけでなく、本の挿絵や肉筆画など作品が多岐に渡っているのには、生活のためいろいろな仕事に手を出さねばならなかった事情もある。
そうした境遇で、北斎は多数の技法を学んだ。

江戸時代、西洋で唯一交流を持ったオランダからは、西洋画がもたらされた。
北斎は、西洋画にみられる遠近法などの技法も貪欲に取り入れた。
流派にとらわれずに技法を吸収し、どの流派にも属さない独自の画風を確立した。

北斎74歳の作品に『富嶽百景』がある。そのあとがきは、彼の芸術観をよく伝えている。

私は6歳から、ものの姿を写す癖があった。50歳からは、数々の絵を世に出したが、70歳までに描いたものには、ろくなものがない。73歳になって、鳥獣や植物の姿が少しばかりわかってきた。
86歳になればますます上達し、90歳になれば絵の奥義を極め、100歳になれば神技といえる絵に達するだろう。110歳になったら、一つの点すら生きているような絵が描けるだろう

当代一流の絵師となっても、自分の絵に満足することはなく、常に上を目指していた。老いてもなお、気力はますます充実し、強靭な意志をもって絵を書き続けた。
彼は北辰妙見菩薩(ほくしんみょうけんぼさつ)という仏に深く帰依し、ひたすら長寿を願ったという。
画家として誰も達したことのない境地にたどり着きたい、という強烈な意志から出ていたのだろう。

稀代の画家・葛飾北斎は、1849年に世を去った。死の床で、彼はこう言って嘆いたと伝わる。

天があと5年の寿命を与えてくれれば、本当の絵師になれただろうに

享年は、数え年で90歳だった。

おわりに

葛飾北斎は、その長い生涯のほとんどを東京都墨田区内で過ごした。彼の画業を伝えるべく、2016年11月に「すみだ北斎美術館」がオープンしている。北斎やその門人の作品を多数公開し、彼の画業の一端に触れることができる。
北斎の生き様やエネルギーに触れることで、明日の活力になるのではないだろうか?

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■すみだ北斎美術館
住所:〒130-0014 東京都墨田区亀沢2丁目7番2号
休館日:毎週月曜日
   (月曜が祝日または振替休日の場合はその翌平日)
   年末年始(2016年12月29日~2017年1月1日)
開館時間:9:30~17:30
   (入館は閉館の30分前まで)
公式サイト:http://hokusai-museum.jp/
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