【中川ケイジさんインタビュー】人生の挫折から救ってくれたのは、“ふんどし”だった。たったひとりに想いを伝えるのが“粋”
広めていきたい「ふんどし体験」を
日本ふんどし協会は、「2020年までに日本人全員がふんどしを1着は持っている、そんな時代の到来を目標としています」とのことですか、これは本気なのですか?
そういうツッコミが欲しいのですよ。「本気かよ!」という(笑)。3割打者を目指しても2割もいかないのが普通。10割目指してやっと4割。なので、「日本人全員」という壮大な目標を立てました。
なにも毎日でなくてもいいので、年に一回でもふんどしを締めるという経験を、日本人全員に広めたい、という想いがあります。それで、2020年の東京オリンピックの年までに日本の文化であるふんどしを、日本中に広めて、さらに世界にも広めたい、ということを考えました。
日本ふんどし協会としてはどのような活動をされているのですか?
最近では、百貨店などで「ふんどしフェア」を開催していただける機会が増えてきています。日本ふんどし協会では2月14日を「2=ふう」「10=とお」「4=し」ということから「ふんどしの日」と制定しています。そこから、西武そごう百貨店では、日本ふんどし協会プロデュースによる『ふんどしパラダイス』(2017年1月31日~2月14日)を開催しました。これは、僕が展開しているブランド『SHAREFUN(しゃれふん)』だけでなく、日本ふんどし協会に加盟していただいている全国各地16社のふんどしを集めて展示販売するというものでした。他にも東急ハンズや小田急百貨店でも「ふんどしフェア」を開催していただいていて、そのような催事はこれからも開催したいと思っています。
あと、ボランティアとして、障害を持つ方の施設にお邪魔し、ふんどしを作ってもらうイベントもおこなっています。紐と生地と布用のボンドとアイロンで簡単にできる。できたふんどしに絵を描いてもらったりして、それをお父さんにプレゼントしてもらう。そのような「ふんどし体験」を広めていくことも活動としておこなっています。
部下より仕事のできない上司だった
なぜ、中川さんが「ふんどし」に注目されたのか? 経緯を教えてください。
僕は神戸の出身ですが、大学進学で東京に来ました。就職活動は上手くいかなかったのですが、そのとき、たまたま、『ビューティフルライフ』という木村拓哉さんが主役の美容師のドラマがあり、カリスマ美容師ブームでした。それで『僕も美容師になろう』と決めて神戸に帰り、30歳まで美容師をやっていました。
最初は美容師をされていたのですね。
そのときは、自分がやりたいことをやっていたので楽しかったのですが、親族に、東京でコンサルタント会社を経営している人がおり、その人から「会社を手伝ってもらえないか」というお話がありました。僕は経営について勉強したかったので、その会社に入りました。けれど、まったく仕事ができませんでした。売上をあげないといけない立場なのに売上をあげられない。社長の身内、しかも取締役で入社して、営業の責任者なのに周りからは『あいつはなんだ』となりました。
それはきついですね。
美容師のときはお客さんがたくさんついてくれて、スピード出世していたから『やれるだろう』というヘンな自信がありました。しかし、営業してみるとまったくできない。新卒で入ってきた子より僕は数字をあげられない。若い子にすら負けてしまう。なのに、その子より上のポジションにいなければいけない。そのような、辛さがありました。同世代と比べてもぜんぜん仕事ができないということを思い知らされた。それは大きな挫折でした。
タイヘンだったのですね。
4年半、結果を出そうと頑張りましたが、何の成果を出せない。そこへ3.11の東日本大震災がありました。実は、僕が高校3年生のときには阪神・淡路大震災があり、実家は全壊しています。家族は無事でしたが、そのときの経験が甦り、『震災で生き延びた。しかも、誰からも「ありがとう」と言われていない、誰からも必要とされていない人間だ』と思い詰めました。『美容師のときは毎日、お客から「ありがとう」と言ってもらえていた。なのに、会社では誰からも感謝されていない。このような自分が生きていていいのか?』 という気持ちになりました。病院に行くと鬱と診断され、「半年間は仕事してはいけない」というドクターストップがかかりました。
いま、思えば、なぜ、成果を出せなかった、とお考えですか?
仕事が心から好きではなかったからだと思います。お客さんに提案する案件を心からやりたいとか、それを広めたい、とは思ってはいなかったからです。
テクニック論になり、パッションがなかった。
だから、コンサルの仕事でなくともなにをやってもダメだったと思います。僕は本当に心からやりたい、と思える仕事でないと打ち込めないのです。
「ふんどし」で人生が変わった
そこからふんどしに出逢ったのは?
会社を辞めざるをえなくなったときに、たまたま、クライアントの社長と話をしていました。
その社長は冗談ばかり言う、面白い人でした。その社長が突然、「ふんどし生活にしたら、次の日の朝から下半身がめちゃめちゃ元気になった」と楽しそうに話すのです。
僕は「ふんどしって、お祭りのときに履く、Tバックみたいなやつでしょ」と言ったら「いや、それとは違う越中ふんどしという、戦前まで日本人が普通に履いていた下着があって」という話になって。
ゲラゲラ笑って話していたのですが、そのとき、『ふんどしだけで人生がそこまで変わるのか? そんなに楽しくなるのか? じゃ、だまされたと思って、ネタにもなるし』と思って、試したのが一番、最初です。
その社長のひと言が転機になった。
いま考えるとその社長はきっと、僕に元気がないのがわかって、励ましてくれたのだと思います。
で、買いにいこうと思ったのですが、売っていないわけですよ。百貨店には置いてないし、ネットで検索しても白と赤か、あとはアダルトチックなやつしかない。
それでも、勧められた、真っ赤な麻のふんどしをネットで買って試してみたら、これがびっくりするくらい気持ちが良かったのです。『なぜ、いままで知らなかったのか』とすごく感動しました。
そのときに、『こんなに気持ちのいいモノだから、全国に広められる可能性はある』と思いました。オシャレなリラックスウェアのような見せ方にすればチャンスはあるとひらめきました。
それで、ふんどしをビジネスにしようと。
転職できる能力もない、やりたいこともない、となったときにふんどしならば、アパレル経験も関係ない。誰もやっていない。起業というとほどでもないですが、たまたま友達に和装小物メーカーの役員をやっている人がいたので、お願いして作ってもらい、webサイトを開いて販売することにしました。
ブランド名は『SHAREFUN(しゃれふん)』と決めて。でも、自分の商品を販売するだけならメディアも取り上げてくれるわけはないと考え、また、ふんどしをもっと普及するためにと、日本ふんどし協会を同時にスタートさせることにしました。芸能人を巻き込んでアワードをおこなうなど、お金をかけずにプロモーションするアイディアはなぜか、いろいろと出てきました。
ふんどしの出逢いは運命だったのですね。
僕のふんどしに対するパッションはしばらく続くと思いますが、ふんどしが世の中に広まったら、僕の役目は終わると思っています。
ふんどしに選ばれたわけですね。
たまたまふんどしに出逢ったら、発想が勝手に出てくる。
ちょっと自分の力ではないことが働いている気もしています。
スピリチュアルな話をするつもりはないのですが、それくらいハマっている。
使命感があるというか、『僕がやらないといけない。僕がやらないとこの文化は終わる』といった使命感はあります。
ふんどしを購入するユーザーの反応はどうでしょうか?
驚きの声が多いです。「こんなに気持ちがいいとは思ってなかった」など。それに、「実は僕、ふんどしをしているのですよ」という話からコミュニケーションが始まるとも聞いています。
自分をアピールできるアイテムでもあるわけですね。
ふんどしに挑戦できる人たちというのは、できる人たちが多いのです。会社の社長やトップセールスの営業マンだったり。
確かに、営業トークのきっかけに使えますね。
普通の人はふんどしと聞いても『ふ~ん』と思うだけですが、社長やトップセールスの営業マンは『これは、ネタになる!』とピンとくるようです。
そういう人はチャレンジ精神があります。
ところで、江戸時代には、ふんどしはレンタルをしていた、という話を聞いたことがあるのですが。
「レンタル」という文化が発祥した最初の品が、ふんどしだったそうです。
その時代は生地が高価だったそうです。1人1枚しか持っていないのが普通。それを洗って使っていましたが、いつも清潔なふんどしを締めることが“粋”とされていました。
それで真っ白なふんどしをレンタルしていたのです。
レンタル料は掛け蕎麦1杯程度だったとか。
今でいえば、ランチ1回分くらいだと思います。
江戸時代は着物からふんどしが見えるのは普通のことでしたものね。
だから、きれいなふんどしを締めることがオシャレだったのです。
見栄だったわけですね(笑)。
きっと、女の子とデートするときは、掛け蕎麦1杯分を我慢して、勝負用のきれいなふんどしを締めたのではないでしょうか(笑)。
中川さんにとって“粋”とは?
100人のうち100人に好かれることはないし、100人中100人に受け入れられることもないと思います。
大切なのは、自分が信じたことを100人のうちの1人でもいいから、伝えていくことだと思っています。
一部の熱狂的なファンを作るということが、働き方としての“粋”な部分だと思っています。
嫌われることを怖がらないというか、自分の直感や信念を貫くことが“粋”だと思います。
100人のうちの1人でもいいということですね。
僕がやりたいことは、本来あるべき価値をもっと高めていくことだと考えています。美容師のときはお客さんを可愛くしたり、本当の自分の魅力を高めることができていました。
しかし、サラリーマン時代にそれはできなかった。
いま、もう一度、「ふんどし」という、もともとポテンシャルのある文化の価値を引き上げたいと思っています。
新しい価値を創造して、それを提供していく、それが僕の役割だと思っています。
1976年、兵庫県の生まれ。日本ふんどし協会 会長、有限会社プラスチャーミング代表取締役。
大学卒業後に美容師に。「3年で神戸NO1の美容師になる」 を目標にする。
その後、親族の会社に入社。サラリーマンとなったが、営業成績が悪く、思い悩み、鬱病に。
その時に出会った「ふんどし」の快適さに感動。
「ふんどしで日本を元気にしたい!」と強い使命感が芽生え、独立。おしゃれなふんどしSHAREFUN(しゃれふん)ブランドをスタート。
日本ふんどし協会設立、会長に就任。2月14日を「ふんどしの日」と制定、「ベストフンドシスト」を発表する。
『人生はふんどし1枚で変えられる』(ディスカバー21)
『夜だけふんどし温活法』(大和書房)
人生はふんどし1枚で変えられる
中川ケイジ
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