何か楽しいことないかな?と呟く日々…意識してみよう先人達の知恵「ハレとケ」
あなたは「何か楽しいことないかな?」と呟く日々になっていないだろうか?
そんな時は、特別なコトを求めている証拠だ。
しかし、あなたが普段“当たり前”にしていることが、他人には“特別なコト”かもしれない。
「ハレ」と「ケ」という言葉やその意味をご存じだろうか?
「ハレの日」とは「特別な日」、「ケ」とは「普通の日」。
漢字では「晴」と「褻」と書き、日本を代表する民俗学者・柳田國男が、暮らしの「区切り」を表した日本古来の言葉である。
それら大切にしてきた先人達の「ハレ」と「ケ」が、現代人は曖昧になっていると言われ久しい。
今一度、日々の「暮らし方」を、ちょっと考えてみたい。
ハレとケとは?
「ハレ(晴)」は、「晴れ着」「晴れ姿」「晴れ舞台」などを見れば分かりやすい。
「ハレの日」とは、単調な日々の暮らしに「区切り」や「けじめ」を付ける日である。
日本には、さまざまな“節目”がある。
年中行事には、正月・五節句・お盆、祭りなど。
人生儀礼として、初宮参り・七五三・冠婚葬祭などがある。
その日は、人々の衣・食・住も大きく変化させた。
食:餅、赤飯、白米、尾頭つきの魚、肉、酒など
住:器、人を招く装飾など
衣食住のみならず、振る舞いや気分など、普段とは異なるのが“本来のハレ”である。
一方、「ケ(褻)」は日常だ。
普段の生活そのものを指す。
普段着のことを「褻着(ケギ)」、日頃の食事を「褻稲(ケシネ)」と言った。
人は、毎日、だいたい同じことを繰り返して生きている。
朝起きて、働いて、食事をして、夜には寝る。
会社帰りに飲んだり、休みの日に子どもと遊んだりもするが、それも普段であろう。
愛する人とハレて結婚したが、毎日奥様が家に居れば、それはケとなる。
仕事は毎日同じ作業の繰り返しでも、飽きずにやること。
それが“本来のケ”である。
ハレとケの違いのメリットは?
「ハレ」と「ケ」に大事なのは「循環」である。
人は、「ケ」だけでは生きていけないものだ。
生きるための質素な日々、毎日同じことだけを繰り返していると、うんざりすることだろう。
変化がなければ、気が枯れる「ケガレ(気枯れ)」となるから、区切りとしてハレが必要だとも言われる。
ハレ、ケ、ケガレについては、色々な学者の持論があるようだが、いずれも日常生活には「変化」が必要だということだろう。
だが、“毎日ハレ”ならどうだろう?
いい服を着る、贅沢な料理を食べる、高い酒を飲む…
それでも、また変化のない日々だと錯覚し、「ハレ」を求め続けてしまう。
常に刺激や非日常を求めすぎて、「鈍化」していないだろうか?
生活の中の“ギャップ”を意識的につくらないと、ハレがハレにならないのだ。
「ケ」があるからこそ、「ハレ」が刺激的で、楽しいのである。
おわりに
水を飲んでも飲んでも、乾きが癒えないか。
一杯の水が、ものすごく美味しく感じるか。
幸せや満足の尺度は、人それぞれだ。
「ハレ」で変化をつけるのではなく、豊かな現代だからこそ「ケ」を意識する。
あなたの日常化しているハレをケにしてみる。
たまには、安酒を飲んでみる。
質素な食事にしてみる。
そこから、日常の中に潜む「ハレ」が、少し際立ってくるはずだ。
明日の酒が、いつもより美味しい!と感じたら、それは「あなたのハレ」なのだ。