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【大石圭さんインタビュー】“粋”とは、「足るを知る」ということ。自分のことは考えない生き方

大石圭(おおいし・けい)
1961年、東京の生まれ。小説家・作家。
法政大学文学部卒業後、株式会社フロムエー総合企画センターに入社。
1993年デビュー作『履き忘れたもう片方の靴』で第30回文芸賞佳作受賞。2003年、映画、ビデオ「呪怨」のノベライズを手がけた。

離婚されたくなくて小説家へ

大石圭さんが、作家になろうと思ったのは、いつくらいなのですか?

中学3年のときですね。同級生が「作家を目指さないか?」と声をかけてきたんです。

友だちの言葉がキッカケ?

そうです。「じゃ、一緒にやろう」と言って目指し始めました。でも、その友達は高校3年のときに亡くなりました。それでも僕は、小説を書き続けて、高校3年のときと大学1年のときに野生時代新人賞の最終選考に残りました。そこから本格的に小説に取り組みました。『この調子なら大学時代に作家デビューできるかな』と思ったのですが、そう甘くもなくて(笑)。
卒業してからフロムエー総合企画センターという会社に勤めました。仕事は残業ばかり。その頃には作家になることはもう、考えていませんでした。

作家デビューはされていなかったんですね。

雑誌『野生時代』に小説が2度載りましたが、単行本にはなっていません。だから『これでは作家にはなれない』と思いました。僕が最初に応募したのは群像新人文学賞でしたが、その時の群像新人文学賞を受賞したのが村上春樹さんでした。

どんな小説を書かれていたのですか?

アメリカ文学とイギリス文学、外国文学に傾倒していて、村上龍さんが好きだったから、村上龍さんのコピーのような小説でした。
やはり、小説家になるって難しいじゃないですか。1,000倍、2,000倍の世界を勝ち残って行かないといけない。僕にはそんな才能はないと思って辞めたんです。

それで、フロムエー総合企画センターに入社されたんですね。

僕は営業として、朝早くから深夜まで安い給料で一生懸命に働いていました。バブルの頃でしたから、営業をしなくても仕事がいくらでも取れた時代でした。

でも、小説家になられた。

会社にマドンナみたいな女の子がいました。
僕はモテるタイプではなかったんですが、飲み会でたまたまその女の子の隣に座ることになって、お酒の勢いで「付き合わないか?」と言ったら「いいよ」と。そんなことで結婚しました。
『楽しい日々で、このまま人生が終わるのもいいな』と思っていたら、妻が「小説は書かないの?」と言うんです。
付き合っているときに小説家を目指していたという話をしたことがあったんです。「もう書かない」と返事をすると「書かないなら離婚する」と言うので、それでまた、書こうと(笑)。

離婚されたくなくて(笑)。

それで『履き忘れたもう片方の靴』を書いて第30回文芸賞に送ったら、佳作を受賞しました。
それから、単行本を2作出してから会社を辞めて、作家が仕事になりました。

小説は犯罪者がテーマ

奥様のひと言が転機になったんですね。

妻の生き方がそれまでの僕の人生を変えましたね。
デビューしても売れなくて苦しかった。辞めて会社勤めをすることも考えました。それでも妻は「やめるな、書き続けろ」と言い、働いて僕を支えてくれました。
すると、映画『呪怨』のノベライズを手掛けることになって、それがすごく売れたんです。

『呪怨』のノベライズは売れましたね。

でも、当時、編集者は「こんな映画は売れない」と言っていました(笑)。僕はそれまで芥川賞を目指して純文学を書いていましたが、角川ホラー文庫で書くようになってからホラー路線になりました。
それで『呪怨』を書くことになったんです。

やはり、続けることは大切ですね。

作家としてデビューした人は多いですが、ほとんどの人は書いていなくて挫折しています。
僕より才能がある人はたくさんいましたが、みんな理由があって辞めていきました。

純文学からホラー路線になったのは?

ストーカーを主人公にして、読者が感情移入でき、ストーカーでも応援したくなるように書いた小説『アンダー・ユア・ベッド』が上手くいって、そこから魅力的な犯罪者を書こうと思うようになりました。
『ハンニバル』のハンニバル・レクターみたいな。そういう小説を書いている人は日本では少なかったんです。だから、僕のような凡庸な人でも生き残れたんだと思います。

自分がやりたいことをやることは大切?

僕は自分の書きたいものがずっとわかりませんでした。
なので初期の頃は出版社の編集者から求められるままに書いていました。
でも、求めに応えようとしても上手くいかない。
考えてみたら、サラリーマン時代も会社の求められるまま、朝早くから深夜まで働いていました。そんな人生でした。
でも、ある時、角川ホラー文庫の編集長から「好きなものを書いてください」と言われて、それで解き放されたましたね。
好きに書いたのが『アンダー・ユア・ベッド』だったんです。

そこから犯罪者をテーマにするようになるわけですね。

セレブな医師やパイロットを主人公にした小説も書いて、それも売れましたが、底辺でざわめいている人たちを書く方が好きですね。石を引っ繰り返すと下にたくさんのヘンな虫がいるじゃないですか。
あんな虫の一匹、一匹にも生きる喜びがあると思うんです。
僕は交尾しているダンゴムシを見たことがあります。ダンゴムシにも交尾する喜びがあるんだと思いました。

大事なのは影響されないこと

大石さんは女性の内面的なエロティシズムにフォーカスされています。

エロチックなシーンは、初期の頃から書いていました。僕はどの官能小説を読んでも、それが官能的には思えなかった。
もっと官能的な描写を書きたかったし、もっと美しく書きたかったというのがありました。

大石さんは官能小説も書かれていますが、内面とか、それこそ、底辺の人間を描いている。そこが、他の官能小説とは違うところなのかな、と思っています。

僕は好きな女性を書くというか、美しくて強くて賢い女性を想像で書いています。
理想の女性ですね。僕はモテなかったので、それほど女性経験もありませんでした。風俗も行かないし……。

だから官能小説がピュアなんですね。

エロティシズムにしても、あまりいろんなことに影響されないことが大事だと思っています。
編集者は小説の参考にとDVDをたくさん、送ってきますが、ぜんぜん見ていないんです(笑)。

SMをテーマにした小説も多いですね。

僕はそんなにSMを知っているわけではありません。やたら詳しくなるのも違うかなと。SMの女王様からメッセージやたくさんの写真をもらったことがありましたが、これも参考にはなりませんでしたね(笑)。

影響されないことが大切。

昔の編集者は僕の原稿をあまり読まないでそのまま本にしていました。それはそれで問題ですが、最近は何人もの編集者が見て手を入れて直す。そのたびに悪くなって行く気がします。
昔は書いたままなのが売れた。今は売れるようにと何人もが手を入れたものが売れない。いろんな人の意見が入ると結局、つまらないものになってしまうんです。

それはビジネスでも言えると思います。一生懸命に手直しするんだけど、直せば直すほどヘンなものになって行く。

ひとりで直すと不安になる。だから、会議してみんなで直す。「こういうものが売れたから、こうしよう」と。
でも、僕の小説は他の小説と違うところが特徴なんです。売れるシーンを入れることによって、他の作品と違わなくなってしまう。だから余計に売れなくなると思うんですけどね。

最後に、大石さんにとって“粋”とは?

“粋”とは、僕的に言うと「足るを知る」ということかな。
自分のことは考えずに生きていこう、というのが信条です。
それが僕にとっての“粋”です。あまり“粋”ではないかもしれませんけどね。

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