坂本龍馬ゆかりの地・鹿児島県霧島市を散策して幕末の風を感じる
鹿児島県霧島市。この地は坂本龍馬ゆかりの地として、毎年、春には龍馬が歩いた道を散策する「龍馬ハネムーンウォーク」もあり、今年も3月18日に開催された。
しかし、なぜ龍馬と霧島市は縁があるのだろうか。
高知や京都ならわかるが、鹿児島と聞いてピンとこない人も多いことだろう。
実は、霧島市も龍馬と関係が深い場所となっている。暗殺される1年前に龍馬はこの地を訪れており、しかも奥さんと新婚旅行した場所である。つまり、ハネムーンというわけだ。
なぜ鹿児島で新婚旅行?
楢崎龍(ならさきりょう)は龍馬の妻だが、“お龍”(おりょう)と言えば知っている人も多いだろう。彼女は京都で医者の娘として生まれ、22歳のときに龍馬と出会う。
1864年(龍馬28歳)の夏に二人は婚姻の仲となり、その2年後には薩摩藩の西郷隆盛と長州藩の桂小五郎の仲を取りもって「薩長同盟」の立役者となる。
薩長同盟が結ばれた翌日、お龍の働く寺田屋で宿泊していた龍馬。その夜、お龍が風呂に入っていると何やら外で不審な物音がする。
よく見てみると窓の外には新選組がうろついていたのだ。新選組は、徳川幕府に歯向かう敵を排除するために組織された兵隊だったが、徳川に敵対する龍馬に目をつけていたのだ。
龍馬が寺田屋にいるとの情報を聞きつけた新選組は寺田屋に忍び込もうとするが、その光景を目撃したお龍は慌てて風呂から飛び出し龍馬に伝える。
龍馬は寺田屋を抜け出すが、逃げる途中に刀で斬られてしまい両手に傷を負ってしまった。
龍馬を心配した西郷隆盛は、龍馬を鹿児島へと招待する。昔から鹿児島は日本有数の温泉地で傷や怪我の治療には最適だったのだ。
龍馬はお龍を連れ、大阪から船に乗り鹿児島についた。それから二人は霧島市へと向かい、温泉に入り、滝を見物し、山に登り、神社へ参拝に向かうなど、優雅な数日間を過ごす。
龍馬ハネムーンウォークは、この時に龍馬とお龍が歩いた経路を散策するというイベントだが、毎年大勢の参加者で賑わっている。
http://ryoma-honeymoonwalk.com/
龍馬とお龍の「新婚旅行スケジュール」
1866年3月16日
日当山温泉(ひなたやまおんせん)に宿泊。
鹿児島県霧島市隼人町姫城
3月17日~3月27日
塩浸温泉(しおびたしおんせん)に宿泊。
所在地:鹿児島県霧島市牧園町宿窪田
栄之尾温泉(えいのおおんせん)
所在地 鹿児島県霧島市牧園町高千穂
3月28日
霧島市隼人町の「妙見(みょうけん)」を歩き、霧島市田口へと向かう。
道中で「犬飼の滝(いぬかいのたき)を見学。
所在地:鹿児島県霧島市牧園町下中津川
3月29日
高千穂峰(たかちほのみね)で登山。「花林寺」に宿泊。
所在地:鹿児島県霧島市霧島田口2614-1
霧島神宮(きりしまじんぐう)に立ち寄り参拝。
所在地:鹿児島県霧島市霧島田口2608-5
3月30日
硫黄谷温泉(いおうだにおんせん)に泊まる。
所在地:鹿児島県霧島市牧園町高千穂3948
4月1日~4月7日
塩浸温泉(しおびたしおんせん)に宿泊。
所在地:鹿児島県霧島市牧園町宿窪田
4月8日~4月10日
日当山温泉(ひなたやまおんせん)に宿泊。
所在地:鹿児島県霧島市隼人町姫城
4月11日
霧島市を離れ、京都に帰る。
33歳で命を絶つ
鹿児島から京都へと戻り、翌年の1867年10月14日には大政奉還が成立し、260年も長きにわたり続いた徳川幕府が終焉した。
しかし、皮肉にも大政奉還から1か月後、11月15日に龍馬は京都の近江屋で暗殺される。この日は、33回目の誕生日だった。
いかがだっただろうか。霧島市が龍馬ゆかりの地であることを理解いただけたと思う。新婚旅行で訪れた地ということもあり、デートスポットとしても人気がある。
県外からも歴史ファンが観光に訪れ、今年のハネムーンウォークは1,500人を超える盛況ぶり。いかに龍馬が愛されているかがわかる。
霧島市は温泉地としても有名な場所であり、心身の疲れを癒すにはもってこいのデートコースが立てられそうだ。その際は、ぜひ龍馬の足跡をたどっていただきたい。
夏休みなど連休で旅先を検討している人は、今年は霧島市を候補の一つにしてみてはいかがだろうか。
龍馬の写真に隠された雑学
江戸時代に坂本龍馬の姿を写した写真が現在も残っている。一度は教科書で見たこともあるだろう。この写真、龍馬は左手を着物の中に隠した姿で撮られているが、これは寺田屋での暗殺未遂が理由と言われている。
寺田屋から逃げ出す際に両手を新選組に刀で斬られ、その時に負った傷が深かったことから写真だけに限らず日常生活でも左手を隠すことが多かったそうだ。