ダークツーリズムのすすめ。負の遺産という観光地へ
ダークツーリズムという言葉を聞いたことはあるだろうか。
これは、戦争や災害、公害、差別といった歴史的な悲劇ゆかりの地を巡る旅のことである。
別段新しい旅のスタイルというわけではない。
修学旅行や社会科見学という形でそのような場所に訪れたことがある方も多いだろう。行為そのものに違いはない。
ダークツーリズムの本質は、そのような悲劇の地を「観光資源」として捉えることにある。
あくまでツーリストとしての好奇心からスポットを「楽しむ」という姿勢が根底にある。
楽しみ方は人それぞれ
「楽しむ」という姿勢に対しては違和感を抱く方もいるだろう。
日本におけるダークツーリズム研究の第一人者、井出明(追手門学院大学経営学部准教授)が指摘するように、日本においては、これまで負の遺産と観光とを結びつける考え方が見られなかった。
行政もそれらの遺産を観光政策に積極的に採用することはない。
これは、負の遺産に対する向き合い方に多様性がない状態に日本があるとも言える。
ダークツーリズムにおいて旅行者は、じつに様々な楽しみ方を実践していい。
例えば、そのような悲劇ゆかりの地には、メモリアルパークや資料館といった施設があることが多い。
それらの施設がどのような展示をしているかを観察すると、施設ごとに解釈の違いを見てとれる。
さらに、国がその負の歴史をどのように見せようとしているのかといった政治性を垣間見ることもできる。
また、他者の苦しみを観察したい、眺めたいというような覗き見的な欲望、レジャー志向の観光客もダークツーリズムは受け入れる。
悼むか悼まないかはその人による。
何も感じなかったでもよい。
まず、「負の遺産=悼む対象」という認識から自由になること。これがダークツーリズムである。
記憶の継承のために、観光客としての役割を果たす
このようにダークツーリズムとは、負の遺産をよりオープンな場にする取り組みとも言える。
もちろん当事者や当事者寄りの立場からは批判もあるだろう。「人の不幸を見せ物にするのか」といったように。
しかし、このような見方もできる。
観光客は、自由に旅をする権利を行使することで、傍観者としての社会的な責任を果たすのだと。
社会的な責任とは、記憶を次世代に継承することである。
ダークツーリズムは、そういった場所の記憶と旅人、すなわち世論とを結びつける役割を担っているのだ。
負の遺産に対して私たちはもう少しオープンに接してもいいのかもしれない。
ダークツーリズムという営みが、それらとの距離を身近なものとする。
観光客は自由に旅をすることができる。
ダークツーリズムの心構えをもって負の遺産を旅すること。
そのスタイルに関心を持っていただけると幸いである。