立ち止まる勇気、ありますか? 自由な人生と向き合うために身に付けたいコツ。
私達の人生は、選択の連続だ。
難しい2択問題を終えたばかりなのに、また、目の前に選択肢が現れる。
それらを回答しながら、私達は毎日を何となく過ごしている。
しかし、選択問題はすぐに答えるのが正解なのだろうか。
もちろん、素早い決断が求められることもあるが、少し立ち止まって、どちらを選ぶかを熟考するのも正しいように思う。
私達は、常にスピードを求められてきた。
何事も早く、早く、早く、早く決断する姿勢が身体に染み付いている。
そのため、いきなり立ち止まるべきだといわれても理解できないし、正しいと思っていても怖くてできないのが当然だろう。
今回、立ち止まる勇気を3つのパターンに分けて紹介する。
それぞれのシュチュエーションに自分が少しでも当てはまると感じるなら、
少しでもいい、選択肢の目の前で立ち止まり、空を見上げる気分で物事に耽ってみよう。
これから述べることが、その糸口になれたら幸いである。
立ち止まって、その場を俯瞰する
新しい仕事、新しい環境。
その場に足を踏み入れたとき、あなたはどう行動するか。
とりあえず、「なんでもやってやろう」と張り切っていないだろうか。
その姿勢は良し。
しかし、それが許されるのは新卒社員だけかもしれない。
ある程度の年齢を重ね、経験を積んできたのなら、
まずは、新しい事柄を俯瞰することから始めてみよう。
どのように仕事が進んでいるのか?
どんなチーム、人間関係が築かれているのか?
その上で、自分はどのように関わっていけるのか?
その場の情報を一歩引いて仕入れてみる。
その間、自分をアピールしたり、こだわりを加えるのはご法度。
すでに形作られているなかで過ごす人にとって、迷惑になる恐れがある。
分かりやすくいえば、ちょっと控えめに、大人しく立ち振る舞おうということ。
それは仕事だけでなく、習い事や引越しなど、新しい環境に身を置くとき全般にいえる。
何もせずに動かないと、「やる気がない、無愛想な人だなと思われないか?」と不安に感じるかもしれないが、すぐにそのような不信感を抱く人はそんなにいない。
相手から何かを尋ねられたり、依頼されたら、全力で応える準備だけはしておこう。
たった”15分”でいいから、手を止める
人の集中力には限りがある。
少なくとも、1日8時間、ぶっ続けで仕事ができる体ではない。
適度に働き、適度に休む。
そのほうが作業効率が上がるし、それが出来てこそプロといえる。
休憩の仕方はなんでもいい。
例えば、コーヒーを淹れるために席を立つのが分かりやすい。
お湯を注げば簡単に作れるインスタントもいいが、
出来れば豆から挽いいて、丁寧にドリップするほうがオススメだ。
料理も同じだが、何か別のことに無心になって集中することは、ある意味、リラックス効果を得られる。
コーヒーを無心になって淹れる。
あなたを包み込む芳ばしい香りが、より癒し効果をもたらしてくれるだろう。
とはいえ、頻繁に休憩をしていてもいけない。
先に述べた通り、”適度”な休憩が必要だ。
必要以上に取り入れてしまうと集中力が逆に切れやすくなるし、
同僚や上司からの不信感も招かねない。
2時間集中したら、必ず15分休憩する。
このラインまで作業を終えたら、絶対にランチに行く。
自分の中でルールを決めて、休憩を義務化させよう。
集中力が切れるまで続ける。
そんなストイックな考え方は、逆に非効率だと気づくはずだ。
人生を立ち止まる
既婚者、未婚者。
その違いは、背負っている重みの質に違いがある。
前者は妻や子供達の生活・将来、後者は自分の今後の人生。
それぞれに重みがあり、私達はそれを背負って今日も生きている。
しかし、私達はその重みに囚われすぎな気もする。
人生は一度きりだ。
何をしようとも、時間は終焉に向かって過ぎていく。
自分の中に何らかの迷いや燻りがあるのなら、
一度立ち止まって、自分自身を見つめ直してみるべきではないだろうか。
例えば、世界一周旅行にいく。
夢みたいな選択だが、実現できなくもないはずだ。
また、文字通り、立ち止まってじっくりと考えてみるのもいい。
徳島県に、神山町という面白い町がある。
緑豊かな山に囲まれ、その間を清らかな川が流れてゆく。
一時期は過疎化が顕著に進んでいたが、現地の町内会やNPO法人の活動により、IT企業の進出やアートイベントの開催など、目まぐるしい変化が起こっている。
そんな神山町では、定期的に”神山塾”なるものを開催。
見ず知らずの場所で半年間暮らし、働きながら自分と向き合う。
専門的な技能や知識を学ぶよりも、半年間かけて”あり方”や”生き方”を学び、『これからの働き方・暮らし方を考えましょう』というのが神山塾のスタンス。
卒業後に自分でお店を立ち上げる人もいれば、フリーでいろいろやりたいという人も出てきます
そう語るのは、神山塾を主催する株式会社リレイション。
実際、20歳後半〜30歳の参加者が多いらしい。
人生を立ち止まり、もう一度、人生を考えてみる。
その半年間を、神山町で過ごしてみるという試みなのだ。
人生を立ち止まる。
並大抵の決断では難しいが、しかし、人生はいつだって前向きだ。
あなたの選択で線路から外れようとも、またレールに戻ってこれる。
しばしの寄り道、しばしの休憩。
そんなことができるのも、あなたが人生を歩んでいる証なのだ。
おわりに
自由とは、”自らに由って何かを成す”こと。
自分の意思がなく、命令されたことにだけ忠実なのは、自由とは呼べない。
しかし、自由だからこそ、選択肢が多く、私達は迷ってしまう。
新しい環境に身を置いたとき、どう行動すべきか。
集中力が冴えまくっているとき、休憩を入れるべきか。
人生の選択や行く道に迷っているとき、立ち止まってみるべきか。
なにをどう選んでも、その人の自由。
しかし、だからこそ、私達は”自分”という存在を認識すべきなのだと思う。
自分はどんな人間なのか、なにを欲しているのか。
いつも俯瞰して眺めながら、「自分とは誰なのか」を確かめる。
そうすれば、自由に悩まず、行く先々の選択にも、柔軟に対応できるのではないだろうか。
いずれにせよ、その姿勢はあなたにとってプラスになるはずだ。