自分の声を聴いてますか? 未来に繋がる”やりたいこと”をみつけよう!
やりたいことが、わからない。
時折、私達は歩む道のりに迷ってしまう生き物だ。
担っている仕事も、責任を背負いながら歩んでいる人生も、自分が本心から「やりたい」と思っているのか怪しいところ。
むしろ常日頃から、路頭に迷っているといっても過言ではないだろう。
それを”悩み”と捉えるか、”幸せ”と捉えるかは人それぞれ。
選択の自由が生まれ、選択肢が広がり、私達は様々な生き方ができるようになった。
今後、その影響は顕著に現れてくるだろうし、やりたいことに正直でなければ、少々苦しい人生を歩まなければならないかもしれない。
それはつまり、会社に依存する生き方の終焉をも意味するかも知れない。
終身雇用という保証が夢幻に消え、明日にでも首を切られかねない時代。
実際にそうなったとき、頼りにするのは“自分”の中にある欲望や野望といった”やりたいこと”ではないだろうか。
しかし、いきなり「やりたいことをやりなさい」といわれても困る。
そこで、まずは自分とじっくり対話することから始めてみよう。
まずは、自分の声に耳を傾ける
“聞く”と”聴く”の違いをご存知だろうか。
前者は「言葉を耳に入れる」、後者は「言葉にじっくり耳を傾ける」とされる。
大事にしたいのは、言うまでもなく後者のほうだ。
上司、部下、取引先、家族。
公私ともに、常日頃から他人の話を意識して聴いている人は多いと思う。
しかし、肝心の”自分”の声にじっくり耳を傾けているだろうか。
自分とは誰か?
どんな不安を抱えているのか?
なにが嬉しくて、なにが不満なのか?
カフェでも、森林でも、近くの公園でもいい。
一人の時間をつくり、ボーッと空を見上げながらでも、自分の心に問いかけてみよう。
半ば哲学的な問いかけにも似ているが、それが自分の”本心”に近づく第一歩である。
とはいえ、仕事や家庭の忙しさに振り回される人にとって、一人の時間は貴重だし、なかなか作れないのが現実だと思う。
しかし、自分と対話するひと時を経験するのは、早いことに越したことはない。
後回し、後回しにしていると、どんどん年老いていく。
数年前なら出来たことなのに、今は色んな要因が重なって出来ない……
なんて悲しいことにもなりかねない。
そうなってしまったら、一生悔いて人生を歩むしかないだろう。
重く捉える必要はないが、ある程度の危機感は持つべきだと思う。
数時間でも、数分でもいい。
自分の声に耳を傾け、自分の心に正直になってみよう。
将来ではなく、“今”やりたいこと
「やりたいことはなんですか?」
その問いに、多くの人が遠い将来に想いをめぐらせる。
しかし、それは少々話が飛びすぎな気もする。
3年後、5年後、10年後。
自分がどうなっているかわからないし、どうしたいかなんてわからない。
もちろん、具体的なプランがあるのに越したことがないが、それに囚われる必要はない。
「今、やりたいことはなんですか?」
これが正しい問いかけだろう。
そんなものない!わからない!と答える人もいるだろうが、それはあり得ない。
自分はお腹が空かないし、見たいテレビもないし、行きたいところもない、
そう断言しているのと同じことだ。
つまり、知らず知らずのうちに、”やりたいこと”を取捨選択しているのである。
もっと気楽に、もっと正直に。
カラオケに行く、お気に入りの音楽を聞く、読みかけの本を開く……なんでもいい。
まずは”今、やりたいこと”に、意識を向けてみよう。
やりたいことは、未来につながる
今、やりたいことに目を向ける。
問いかけの答えを忠実に実現させる。
それはつまり、一歩一歩、歩みを進めているのと同じ。
目の前に正直に生きることで、結局は自分のやりたいことに忠実でいられる。
そして、ゆくゆくは、”将来のやりたいこと”に繋がっていくはずだ。
やりたいことが見つからないとか、何をやってもうまくいかないとか、面白くないということがあっても、どの瞬間でも、その中で一番やりたいことは多分ある。
今どうしたいか、ということ。それをやってゆくと何か見つかってくるんじゃないかって。
(中略)
今、このっていう時に、いちばんやりたいことを選択すると、次の瞬間にまた次の時点でやりたいことが出てくるわけだから。
そうやってこう石を渡っていけば、だんだん自分が見えてくるんじゃないかという気はしているんです。
将来、なにがやりたいの?
子供の頃から聞かされた問いが、半ば義務感のように染み付いている。
しかし、先に述べた通り、将来のことは誰もわからない。
わかるのは、今、目の前にあることだけ。
ひとつひとつの問題を解決するように、一歩ずつ歩みを進めていけば、そこには確実に未来が待っていると信じたい。
おわりに
やりたことを見つける。やりたいことに忠実である。
この記事を通して、その重要性を述べてきた。
しかし、それに囚われ過ぎていると、周りが見えなくなる恐れもある。
自分の意思に忠実になるのだから、当然といえば当然。
そこで必要なのは、自分と社会のバランスをいかにとるかということだ。
どちらか一方に傾きすぎていては、どちらかを損なうことになる。
自分の意思をどこまで反映させればいいか。
社会の意思をどこまで尊重すべきなのか。
いつも水平に、いつも平等に、
上手く立ち回りながら、より良い人生を歩んで頂きたい。