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人を渡す橋に歴史あり。 趣ある風貌に魅了される『日本三大奇橋』とは?

あなたは、日本三大奇橋をご存知だろうか。
大昔からある橋のなかでも、特に構造が変わっている珍しい橋3つを指している。
その容姿は、まさに奇天烈。
どうやって繋がっているのか、バランスをとっているのか、気になって仕方がなくなる存在だ。
また、その趣ある容姿は、渡るだけでなく、一歩引いて眺めてこそ価値を見出せる。
今回は、そんな日本三大奇橋の魅力と共に、その背景にある歴史を紐解いてみよう。

【山梨県大月市】猿橋

@____naa25_が投稿した写真

昭和7年に名勝指定を受けた『猿橋(さるはし)』。
明確な起源は定かではないが、初期の建築年代は600年頃。
百済の国の志羅呼(しらこ)が、猿が繋がって対岸に渡る姿を見て、構造の着想を得たという伝説がある。
文献では、延宝4年(1676)に橋の架け替えがあり、甲州街道として重宝された。
ちなみに、現在の橋は昭和59年に復元されたそうだ。

構造形式は、肘木けた式。
橋脚がないのが特徴で、両岸より張出された四層の桔木を支点とし、上部構造を支えている。
また、柱が腐らないように小さな屋根が付いているのもポイントだ。
避暑地として夏に訪れるのもいいが、最も美しい季節は秋。
紅葉の名所としても有名で、赤・黄・緑のコントラストが猿橋を彩る。
橋の上から桂川を覗き込めば、あまりの高さに腰を抜かしてしまうかも。
自然の空気と美しさに、身も心も癒されるはずだ。

【山口県岩国市】錦帯橋

なつきちさん(@kanoeiji)が投稿した写真

日本三名橋にも数えられる『錦帯橋(きんたいきょう)』。
山口県岩国市の観光名所として知られており、現地に赴いた際には是非とも足を運びたい場所だ。

錦帯橋の歴史は、慶長13年(1608)まで遡る。
この地を治めていたのは、岩国藩の吉川氏。
横山の山頂に築城した岩国城は、錦川に囲まれた天然の要塞。
しかし、城下町を形成し、藩政を推し進めるためには、約200mの川幅がある錦川に橋を築くほかない。
そこで始まったのが、錦帯橋の施工というわけだ。
紆余曲折あり、延宝元年(1673)に完成することとなる。

渡り橋の構造は、頑丈な組木技法。
橋上から圧力をかけることで、強度が更に増す仕組みとなっている。
この建築力と技術力は非の打ち所がないとされ、300年以上前に作られたとは思えないほどらしい。
周りの自然美も相まって、美しいアーチ型の橋に魅了されることだろう。

【徳島県西祖谷山村】かずら橋

妖怪いっぱいの道を抜けるとここはかずら橋〜 #祖谷 #かずら橋

しんごさん(@shingo0141)が投稿した写真 –

重要有形民族文化財に指定されている、『かずら橋』。
長さ45m、幅2m、水面上14mで、昔は深山渓谷地帯で唯一の交通施設だった。

かずら橋の始まりは、平家の時代。
屋島の戦いに敗れた平氏一族が澪潜めていた西祖谷山村。
この隠田集落までを繋ぐ橋として築かれたとされている。
材料は周辺の山々で自生する”シラクチカズラ”のみ。
追っ手が迫ってきたとき、いつでも切り落とせるようにという目論見があったらしい。
いずれにせよ、植物の縄を使って、手作業で建造したとあっては、すさまじい労力と技術力を要したことだろう。

現在は、3年毎にに架け替え工事を実施。
また、19時~21時の間、ライトアップも行われている。
平家一族の悲しい歴史か、はたまた、壮大な自然と調和した美しさか。
暗闇に浮かぶ、かずら橋の幻想的な姿に、あなたはどんな想いを抱くだろうか。

おわりに

人々の生活に欠かせないライフライン・橋。
現代のような多岐に渡る輸送手段がなく、人の足で情報や荷物を運んでいた時代には、特に欠かせない存在だったと思う。
今回ご紹介した日本三大奇橋も同じ。
単なる美しさを求めたのではなく、川や渓谷などの端と端を繋ぎ、「より多くの人々の生活を便利にしたい」というリアルな想いが込められている。

あなたが何気なく毎日渡っている橋にも、そんな作り手の情熱が込められているかもしれない。
ふとしたときに、思いを馳せてみてはいかがだろうか。

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