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「捨てる」から“粋”を考える …ミニマリズムな生き方は“粋”か?

ミニマルな暮らし方/生き方とは?

ミニマルとは、最小限の、シンプルなどの意。ミニマリズムとは、最小限主義の意。

“ミニマルな”暮らし方/生き方に、注目が集まっている。
スティーブ・ジョブズの禅との関わりから始まった、最小限への追求美。iPhoneなどのApple製品が、多くの日本人に愛されているのも、Appleのデザイン哲学に共通する感覚があるのではないだろうか?

ミニマリズムを実践したJoshua Fields MillburnとRyan Nicodemusが出版した「minimalism ~30歳からはじめるミニマルライフ」佐々木典士氏の「ぼくたちに、もうモノは必要ない。 – 断捨離からミニマリストへ」などミニリスト達の本が出版され、いずれも人気だ。
物質社会から一歩進んで、本当の豊かさとは何か?を多くの人が、考えはじめているのだろう。
表現方法は異なるが、彼らは共通して、暮らし方だけでなく生き方、考え方の断捨離が幸福に繋がったと説いている。

本の導入はいずれもこうだ。「私はモノに溢れ、欲が欲を生み、悩み苦しむ。」
彼らは“欲望”に悩み苦しみ、モノの必要/不必要を選定し、新しいツールも活用しながら捨てていったのだ。
捨てることで、創造性をはぐくみ、結果、幸福を生み出したのが彼らだ。
私は彼らに強い嫉妬にも近い憧れをいだく。

フト、自分の家や仕事場を見渡してみると、モノで溢れている。全てがゴミのように見えてくる。
このゴミたちを捨ててしまったら、いかに幸せか、下らない悩みやトラブルも一緒に。まさしく本の導入部と同じ入口に私もいるのだ。
私だけでなく、また、経済活動のもと、何でも簡単に手に入る現代人が、これらの考え方に共感するからこそ、このような本が売れているのだろう。
だが読み進めて行くうちにフト気付く。

削ぎ落としの中で消えゆくもの

逆説的だが、彼らは、悩みや苦しみがあったからこそ「幸福」への道としてミニマリズムを手に入れた。自分なりの考え方をクリエイトしたと言ってもいいだろう。
しかし、それは同時に「幸福」を手に入れた変わりに「クリエイティブ」の種である「悩み/苦悩」すら捨てたことにはならないだろうか?

私はかなり「ミニマル」への憧れが強い。引き算こそが、本来のデザインと考えている。
※ここで言うデザインとは、グラフィック・デザインだけでなく人生デザインも含む。

アートやファッションでも共通しているのが削ぎ落としの行為だ。私にとってミニマルへの憧れは、“削ぎ落とし”への苦悩があるからこそ美しさ、カッコよさに憧れたのではないだろうか?
では、なぜ私は、ミニマリズムの方向に行かなかったのか?なぜ「禅」はなく「粋」に惹かれたのだろう?

ミニマルや禅は、削ぎ落としていく美学だ。一方、粋は曖昧かつ欲すら内包する哲学だ。
その時の気分/感情/状況にあわせて、解釈も変えていけるのが「粋」だ。(「粋とは」参照)

“削ぎ落とし”は、削ぎ落とされるもの、すなわちムダが存在する。
そのムダを全て排除しないのが「粋」ではないだろうか?

仕事を行っていく上で、人生、生活や遊びから全てのムダを削ぎ落としてしまっていいのだろうか?



そんな折、テレビで染色家・芹沢銈介氏のインタビューを見た。
ご自宅にある置物や工芸品について、彼は「家には自然とモノが寄ってくる」という表現を使っていた。それは決して高価なものでなく、個性あふれるユニークなものたちだった。

非常に合点がいくセリフだった。
自然とモノが寄ってくる「器」の人間になった時には、その寄り場を確保するために、モノを捨てよう。
自然とモノが集まるだけの磁力が、まだまだ私には足りない。
今の私には「ミニマリズム」や「禅」に淫している場合ではないのだ。

捨てることはいつでもできる。
ミニマリズムや禅はまだ、お預けだ。

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