“日本三大うちわ”って知ってる? 伝統的な清涼道具が秘める、後世に語り継ぎたい魅力。
暑い夏がやってきた!
昼間だけでなく、夜間も寝苦しさに悩む季節。
涼しさをもとめて、早くも扇風機や冷房機にすがっている人も多いだろう。
しかし、そのような現代文明の賜物がない時代。
昔の日本人はどのように猛暑を乗り切っていたのだろうか?
簾、風鈴、打ち水、避暑地….
今も頼られている様々な暑さ対策があったわけだが、そのとき、いつも片手にあったのは”うちわ”なのは間違いないはずだ。
時折、無料で配られているうちわ。
多くの人が”消耗品”と位置付けていると思うが、実はとても歴史が深い。
扇げば風を生み出す道具として、魔除けや占いなどにも多様されていたのだ。
今回は、そんなうちわの魅力について迫ってみよう。
“うちわ”の始まりとは?
日本で生まれたかと思いきや、うちわの起源は中国。
その始まりはとても古く、紀元前には既に使われていた記録が残っている。
しかし、もともとは虫を打ち払うための道具。
虫を殺生してはいけないと、僧侶が虫を追い払う目的が始まりだ。
そのほか、病魔を打ち払う魔除け、儀式や軍配、占い、信仰などにも用いられた。
その後、日本に入ってきたのは1,200年以上前の奈良時代。
唐招提寺の鑑真和尚が持ち込んだと言われており、天皇や貴族といった身分の高い人達が顔を隠したり、虫を追い払うために使用。
また、戦国時代に突入すれと、戦の指揮を執るために使われるようになる。
“涼”をとるために使うのは、江戸時代から。
庶民が涼しさをもとめて扇いだり、火を起こすために活用され始めた。
ちなみに、明治時代には現代のような広告を目的としたうちわも増えたそうだ。
何千年も前から存在していたうちわ。
あなたが片手で扇いでいる”それ”は、実はとても歴史の深い物なのである。
日本三大うちわ
江戸時代から庶民の間で広まり始めた、うちわ。
職人が丁寧に手作りするわけだが、現在もその歴史が受け継がれている。
なかでも、四国・京都・千葉で作られているものは”日本三大うちわ”と称され、国の伝統工芸品にも指定されているのだ。
【四国】丸亀うちわ
別名・讃岐うちわ、とも呼ばれる。
もともとは、香川県の神社『金刀比羅宮(ことひらぐう)』でのお参り、通称・金比羅参りをした際のお土産として生まれたもの。
しかし、紙を張る”穂”という部分、持ち手の”柄”の部分が1本の竹で作られており、丈夫で長持ちすることから、江戸時代中頃には藩から奨励される特産品となった。
現在では、全国の”竹うちわ”の生産量の9割を占めるまでになっている。
【京都】京うちわ
別名・京都うちわ、とも呼ばれる。
南北朝時代、倭寇の渡来によって西日本に広まった“朝鮮うちわ”が原型。
紀州から大和を経て、京都の貴族たちが別荘地として訪れていた深草に伝わったのが始まりとされている。
丸亀うちわとは違い、穂と柄を別々に作ってから取り付ける、“差し柄”という構造が特徴的だ。
明治時代に入ると広告用の配布物にも使用され、現在では日本文化のひとつとして海外にも多く輸出されている。
現代風のデザインとして、絵柄の部分にだけ紙を貼り、透けて見える構造が涼しげな”透かしうちわ”が人気だ。
【千葉】房州うちわ
もともと、良質な竹の産地だった房州。
江戸のうちわ作りにも多用されていたが、転期が訪れるのは明治17年(1885)。
地元・那古町に住んでいた岩城惣五郎が、東京からうちわ職人を雇って房州で生産を始めたのだ。
竹の丸みを生かした”丸柄”、48〜64等分に細く割いた”骨”を糸で編んで作られる。
半円・格子模様が美しい”窓”があるのが特徴的。
男たちが漁に出かけたあと、留守番をしていた女性達が内職として始めたこともあり、房州のうちわ作りはとても盛んになった。
おわりに
「たかが、うちわ」と侮るなかれ。
その歴史はとても古く、大きな産業にまで発展して各地を潤し、日本の文化となっている。
なかでも、”日本三大うちわ”は、職人の技が随所に光る工芸品。
丈夫で長持ちだし、扇ぐことで生まれる風はとても清らかだ。
四国・京都・千葉を訪れたさいは、お土産としてオススメである。