麗しい紋様が華ひらく。 日本が誇る伝統工芸・江戸切子の魅力。
緻密に、正確に、華やかに。
何箇所にも装飾を施され、光が屈折する様はシャンデリアのよう。
日本が誇る伝統工芸品のひとつ、江戸切子。
見る者を魅了してやまない魅惑の逸品を、あなたは間近で観たことがあるだろうか。
江戸切子の始まりは、ある一人のガラス細工職人だった。
それ以降、紆余曲折はあるものの、着実に技術を弟子に伝え、今も多くの職人を生み出しては伝統工芸を未来に残すことに努めている。
今回は、江戸切子の歴史・魅力・自ら製造体験できるスポットを紹介。
どこか涼しげな印象を受ける江戸切子。
この夏、お気に入りの酒杯を購入するついでに知識を深めてはいかがだろうか。
“切子”とはなにか?
そもそも、切子とはなにか。
切子グラス、切子細工とも呼ばれるが、つまりはカットグラスの和名・日本名。
カットグラスの技法を活かし、装飾を施したガラスのこと。
本来、日本にはガラスを細かく加工できる技術はなく。
貿易などによってヨーロッパから輸入されたカットグラスを参考にしていた。
カットグラス=切子となったのは、18世紀末頃。
天明8年(1788)に出版された『蘭説弁惑』に、関連する記述が残っているそうだ。
その観点からいえば、たとえ輸入品でも、工場でロボットが大量生産したものでも、装飾を施したガラスのことは全て切子と呼ばれても不思議ではない。
しかし、後述する“江戸切子”や”薩摩切子”は伝統工芸に指定された特別なもの。
製造方法にいくつかの条件が定められており、それらをクリアしないと認められない。
購入する際は十分注意して考えるようにしよう。
ちなみに、切子は、ガラスを削ることを”切”、削ったあとに残った粉を”子”と捉えて作られた造語である。
江戸切子と薩摩切子の違い
日本国内における切子の始まりは、天保5年(1834)。
江戸大伝馬町でびいどろ屋を営んでいた加賀屋久兵が、金剛砂と呼ばれる研磨材を使ってガラスの表面に彫刻を施した。
黒船に乗ってペリーが来航したとき、加賀屋の切子瓶が献上品のひとつとして収められ、細工の美しさと細やかさにペリーが驚いたという逸話も残っている。
その後、切子は江戸と薩摩の2ヶ所で発展。
江戸切子、薩摩切子と呼ばれ、いずれも江戸時代の優れたガラス工芸品として今も残り続けている。
江戸切子、薩摩切子、両者の決定的な違いは”発注・製造の経過”だ。
江戸切子は、庶民の手によって製作され、技術が伝えられていた。
正確かつ鮮明な、深みのある装飾が特徴で、仕上がりが華やかなのが特徴である。
明治初期には、”品川硝子製造所”にヨーロッパから新しい技法が導入。
江戸、明治、大正、昭和、平成……激しい時代の流れのなかでも伝統者の育成に努め、発展してきた。
その甲斐もあって、現在でも熟練の職人がおり、新たな作品を生み出し続けている。
一方薩摩切子は、薩摩の藩主・島津斉彬が先導して藩の事業として製作されていた。
色を厚く被せた素材を使い、半透明の淡い仕上がりが特徴である。
しかし、薩摩切子の歴史は約20年ほど。
島津斉彬の死と薩英戦争の影響により、工場は焼滅。
伝統を伝える者もいなくなり、現在は”復元”という形を中心に製作されている。
いずれにせよ、両者が貴重な伝統工芸であることに相違ない。
日本の誇りである技術を未来に残し、伝えていくのは、現在に生きる私達の役目である。
江戸切子を体験する
すみだ江戸切子館
創業100年以上にもなる、江戸切子専門店。
伝統的ものから新参者まで、約350点もの江戸切子を取り揃えている。
窓越しで職人の製造を覗くこともでき、
それを見ていたらあなたも自分で作ってみたくなるはず。
初心者にも優しい体験教室は、外国人観光客にも人気。
東京スカイツリーを目の前とする、JR「錦糸町駅」からアクセスが良いのも嬉しい。
東京の下町を堪能するコースに、是非とも組み込んで頂きたい。
Hanashyo’S
洞爺湖サミットの贈呈品にも選ばれた、独自の紋様が美しい切子を製造。
江戸切子の伝承に力を入れており、日本初の職人主催・江戸切子スクールを開校している。
プロ育成の講座が中心だが、それに近い形で製造体験できるプログラムも用意。
自身で作った江戸切子を持ち帰ることができる。
江戸切子の魅力に気づいた暁には、生涯を通して続けられる趣味として、ステップUPしていくのもいいだろう。
電話:03-5858-9175
営業時間:
水・木曜/19:00~21:00
日曜/11:00~13:00 13:00~15:00
休館日:水曜・木曜・日曜のみ営業
公式URL:http://www.edokiriko.co.jp/school/
おわりに
諸説あるが、ガラスの始まりは今から4,000年以上も前。
古代メソポタミア地方、現在のアジア大陸の西側が起源だとされている。
それから各地方で独自の発展を遂げるわけだが、我が国においては、ガラスのことを”瑠璃”と呼んでいた。
異国の文化が入ってきた江戸時代には、ポルトガル語の”びぃどろ”、オランダ語の”ギヤマン”など、それぞれの呼び名が加わり、現在の”ガラス”に至ったという。
江戸切子・薩摩切子が生まれたのも、ちょうどその頃。
多くの庶民が焦がれた光り輝く切子は、今もその姿形を変えていない。
日本の歴史の片鱗を垣間見る。
江戸切子・薩摩切子には、そんな魅力もあるのではないだろうか。